『フィロソフィア』第九十四号 早稲田大学哲学会2006年掲載
(注:掲載誌は縦書きでしたが、ここでは横書きです。ご了承ください)筆者は、音や音楽に着目して、自己の内なる自然(身体)や、外なる自然(他者や社会)への関心をも高めることにつながるような、国際理解教育における学びのあり方を考察してきた。そして、作品として音楽になっていない音や、「意味のわからない」音も含めた、音がもつ力と、私たちの耳のあり方について問い直すことを通して、国際理解教育における学びを再検討してきた。そこで、説明的な意味を介さない、いわば「直観的理解」とでもいうべき理解のあり方を探ってきたつもりである。説明的に論理でわかることや、知識でわかることといった理解が不要であるはずもない。但し、理解のあり方とは、もっと多様な姿をしているのではないか。意味を排除したときに、より深い理解が得られる、文字通り「腑に落ちる」というような感覚の体験は、誰にでも覚えがあるはずである。たとえば解剖学者の養老孟司は「なんでも意識化できる・計算できる・予測できる」と思っているのは、現代人の一番大きな誤解であると述べている。養老によれば、「理解」ということばは理屈でわかることのように思われているが、そうではない。「からだ」で覚えること——自転車や水泳、編み物など ——は忘れない。我々が、水の入ったコップを手で持つ、というなにげない動作を行うことができるのは、生物が陸からあがって五億年、ずっと重力とつきあってきたことの結果で、だからこそ、重力の計算、重力の「理解」は、意識せずともできてあたりまえになっているという。つまり、「理屈でわかること」のように思われている現在の「理解」のあり方ではない、別の「理解」の形があり、それは生き物としての人類の「からだ」そのものに備わっているという。本論では、こうした「からだそのもの」に根ざした理解のあり方が、国際理解教育にもたらすものについて考察する。その際、身体と理解をつなぐ鍵として、野口三千三 の身体観を手がかりとする。
野口は、戦前から半世紀以上を体操教師として過ごし、「野口体操」といわれる独自の体操を創出した人物として知られる。日本社会が右肩上がりの時代から力を抜くことを説いたその身体哲学は、1970年代から舞踊・舞踏・演劇・音楽など主にアートの世界に影響を与えた。同時に、ことばに徹底的にこだわりぬいた言語論・身体論は竹内敏晴、齋藤孝などをはじめ、一部の教育学者などに少なからぬ影響を与えた。だが、「体操」を名乗るにもかかわらず、数年前まで体育の世界では無視され続けてきた。2002年度より実施された学習指導要領において、保健体育に「体ほぐし」の概念が導入されたことは、時代がようやく野口の思想に追いついたことを物語る。更に、体育分野のみならず、野口の思想を生産的に読み解こうとする動きもある。たとえば、<生きる>ということ、生命のダイナミズムについて考えるのに、記号論の吉岡洋らは野口の著書『原初生命体としての人間』を手がかりにしつつ、知の横断的な運動を促すことを試みている。なかでも、野口が人間を「原初生命体」としてとらえ、その主体を骨や筋肉、内臓ではなく、体液にあると考えたように、室井尚は文化や社会を構造ではなく流動体としてとらえた上で、「文化理解、社会理解と、野口のような身体理解とはばらばらに切り離してではなく、相互に関連させ、結び付けて考えていかなくてはならない」と述べている。そして、問題なのは、こうした思考方法が、「正しいか正しくないか」ではなく、こうした思考方法によって何が見えてくるか、であるという。
野口の思想にはさまざまな分野からの共鳴があるが、教育においても、体育や芸術といった専門教育のみに費やすには惜しまれる、教育に携わる者なら誰もが傾聴すべき点が多々宿っている。文化や社会の理解を自明の課題として扱ってきた国際理解教育においても、野口の思想の出発点となった「からだ」をその軸に据えてみることは、従来の「理解」のあり方では見えなかったものを見えるようにする可能性があると考えられる。身体理解が、社会や文化の理解と結びついていることに、従来の国際理解教育がどれだけ意識的だったかと考えると、懐疑的にならざるを得ないからである。
そこで、以下に野口の思想を手がかりにしつつ、「からだに根ざした」国際理解教育のあり方を検討する。「国際理解教育」という名称自体に多くの問題が含まれている現在、「国際」ということばの原点に「からだ」を据え、また、「理解」ということばの原点にも、「からだ」を据えてみることで、国際理解教育を考える上での新たな視点を見出すことがそのねらいである。
野口の思想は、その言語化された内容だけでなく、その内容を生み出すプロセスを、自分のからだという、誰にとってももっとも身近で、かつ未知なる自然である媒体をもって実感し、共有できること、からだにその思想が根ざしている点が独自な点だが、からだに根ざしているという理由だけで、かえって数ある体操のひとつ、と見過ごされてしまう可能性がある。しかし、それは体操のためだけに生み出された体操では決してない。以下に、その著作を中心に野口の思想を導きだし、国際理解教育の再考の手がかりとする。また、羽鳥操 の主宰する体操教室での実践も参考にした。
野口体操は、「体操」といっても、筋トレや西洋的なエクササイズにより、筋肉の量的な増強を目指すものではない。その体操は見た目の柔らかさや、はかりで計れる数値にこだわらずに、微細な差異を感じる力をみずからのなかに育んでいく営みである。当時の「死んだ人間」を扱う解剖学に疑問をもった若き野口は、人間を、ひとつの大きな皮袋の中に水が詰まっていて、そのなかに骨と筋肉、内臓、更に脳が浮いている「原初生命体」と考えた。ここでは体操自体の紹介は避けるが、筆者の解釈によれば、野口体操の本質は、子どもも老人も身体障害者も、あらゆる人間が一生涯自分のからだとつきあう、そのためにからだに聞く、という営みであり、体操とはあるがままのからだ、まるごとのからだが、しなやかに、やわらかく、できるだけ楽に気持ちよく動けることを目指して営まれる「祈り」である。そして、その「まるごとのからだ」には、人間の感情、思想、こころ、ことばなども含まれている。そうしたまるごとのからだが、野口にとっては偉大な教師であった。そして、からだの動きを手がかりにしながら、「自分を含めて誰も気づいていない無限の変化発展の可能性」を、発見し育てることができると考えたことが、独自の体操を生み出した背景となっている。
野口の体操が生まれるひとつの大きな契機となったのは、敗戦である。小学校や官立東京体育専門学校で教鞭をとっていた野口は、敗戦後の虚脱と茫然自失のなかで、「今までのすべての体操を、そしてその体操をとおして生きるという生き方を全部捨て」ることを決める。そして「自分自身にとっていちばん信用できるもの」「納得できるもの」を手がかりとして出発するのである。そこで彼が手がかりにしたのは、「厳然と広がる大地」、つまり地球と、自分のからだであった 。
以降、野口は、場所を東京芸術大学へと移し、人間まるごとのからだについての考察を深めていく。その実践は、演劇関係者や美術家など、芸術家達に浸透していった。運動神経が鈍いとか、ないとか言い切る学生に対しては、「美術や音楽を専門とする人間に運動神経がないわけがない、むしろ感覚がいいから無理を強いる不合理な動きや、自分の美意識に合わないことを強制されることに我慢がならないだけだ」と考えた。前述したように、野口の生前、その体操は、体育・体操業界から無視されてきたが、一方で生涯教育の場でも参加者を増やしていく。それでも、羽鳥によれば、参加者(特に男性・またいわゆる「優等生」)のもっている体育・体操の先入観をまず壊すためには、相当のエネルギーと時間を費やしたという。しかしここ数年、参加者がからだに対してもっている、ほぐれること、ゆるむことへの抵抗が薄まり、教室の雰囲気が変わってきたという。養老はこの時代の変化を「現代は意識優位の世界であり、脳化社会である。ところが最近、こうした世界で身体復活の兆しが目立ってきた。(中略)ようやく、野口さんの斬新な身体観が社会に広く受け入れられる可能性が出てきた 」と述べているが、からだをほぐし、ゆるめること、脱力することへの認識が徐々にではあるが変わりつつある。
野口は体操教師として、学校体育がスポーツに偏りすぎていることを実感していた。スポーツを否定したわけではない。野口は、競争原理がすべていけないということではない、と前置きしながらも、「より高く・より早く・より強く」という、数字で表せる一つの価値基準が絶対化し、ギネスブック・オリンピック的価値観による「感覚汚染」が教育に蔓延していることを憂いていた。高度に専門化・分業化が進んだ社会では、対象がスポーツであれ音楽であれ、観客や聴衆というのは、通常それほどうらやましがられる立場とはされず、やる人と見る人が大きく隔てられた社会を生み出した。こうした価値観の蔓延、ある分野の巧者のみが特権的な立場を享受するような排他的な価値観が、人間の感覚を蝕み、音楽にしろスポーツにしろ、その本来のあり方をゆがめ、素朴な喜びを普通の人々から奪っている。そうした価値観の肯定は、ひいては身体障害者がからだを動かすよろこびや、聴覚障害者が音楽を愛するよろこびに対し、人々を無頓着ならしめよう。体育も、音楽も、学び手は、普通の人であり、その普通の人のなかに、年齢や立場を越えたあらゆる人が含まれていなければならないはずである。
学校教育の体育における「体ほぐし」の概念と実技の導入について、羽鳥は「明治の開国以来、始めて『力を抜くこと』『ほぐすこと』が教育の場でいわれることになったことは画期的な変化」と指摘する。力の入れ方ばかり教えてきた教育にとって、この概念の導入は「『社会性』『合理性』『効率性』が、教育の現場で大手をふってきた反省」がようやくなされつつある兆しであるという。しかし羽鳥は、この概念の導入が、見た目にわかる柔軟性、数値に置き換えられるような柔軟性であると捉えられるのではないかと危惧する。また、村田芳子は、体ほぐしが効率を求め、偏差値的な形で学校教育に入っていくのであれば、すんなり学校教育に受け入れられるはずだが、そうではないところに意味があるからこそ、体ほぐしは「教育全体を変えていく」可能性をもつ理念であるという。まさしく、この「ほぐし」の概念が、体育という一教科の問題として追いやられてしまうのであれば、それはまた感覚汚染の続行を許すことを意味する。「ほぐし」は、体育という教科のみに必要なのではない。ここで目指されるのは、単なる見た目の柔らかさではない。それは感覚であり、からだの実感である。野口は、近代的な教育による感覚の汚染に対して有効な処方箋として、「からだの実感の復権」を掲げ、次のように述べている。
「からだの実感に根ざす判断は、人間がつくったおしきせの価値観・道徳律ではなく、人間をつくった大自然の原理、即ち『自然律』を感じ取る道に通じます。自然律に即した体育は、外側からの命令に服従するのではなく、それぞれが内側からの『促し』によって自律できる、真に創造性豊かな人間を育てる 」。
教育において、学習者の外側からの評価が、学習者の励みになることもあろう。だが、外側からの評価がなされるとき、それは、評価する側の都合でなされているに過ぎないことが多い。教育において、内側からの評価、内側からの促しが疎かにされれば、それは自分の外側にしか評価の基準を求められない人間を育てることと同義である。野口の目指した教育の根幹には、自らの外側に評価の基準を求め、そこに服従する人間ではなく、自分のからだの声に耳を澄まし、内側から自律する人間を育てたいという想いがあり、それを可能にするのが、<からだの実感に根ざす>というものの見方だった。
野口が体操を営む上で、最大のモチーフとしたのは「ことば」だった。野口はことばと、それを成り立たせている音や文字には、それが指し示す意味以上に、本質的なエネルギーが秘められているととらえていた。
「コトバを味わうには、意味をもっているまとまったコトバを味わうことはもちろん大事なことですが、それと同時に、従来の意味から切り離してみることも大事なことです。切り離してみる見方、それは音を通して、その音を味わうやり方です。私は、コトバというのは、からだの動きそのもの、あるいはからだの動きの延長だと思っているんです 。」
そして、それがどんなにアカデミックな立場から否定されようとも、「言霊」説にこだわりつづけた。
「一つ一つの音はエネルギーをもっています。猛烈なエネルギーをもっています。一つ一つの音が、命をもった、エネルギーをもった状態で、コトバを出したり聞いたりするなら、私たちの生命もまたはつらつと生き生きとしてくるはずです 。」
意味を離れ、触覚的な存在としての音やことばそのものを味わってみるという考え方、ここでは、このような考え方が正しいか正しくないかということが問題なのではない。音やことばの問題は、からだの問題に他ならないということを、野口は強調しているのである。しかしながら、学校教育においては通常そうしたテーマは言語教育や芸術教育といった専門分野におとしこめられ、学習者は意味や機能の理解、習得に縛られ、かえって全体性を損なう事態を招いている。そのような事態だからこそ、野口は、音やことばがからだと深くつながっていることに意識的に向き合うことで、体育教育においても、そして生きるということにおいても、全体的な身体性を取り戻そうとしたのである。
野口体操の教室では、ベテランも初心者も同じレッスンを受ける。クラス分けは行われない。クラスわけを行えばより効率的に授業が行われるが、クラスを社会の縮図とみたてていた野口は、あえてそれをしなかった。
「社会生活というのは、心身に障害を持つ人も、子供も大人も、あらゆる条件の人が一緒に生きているわけです。許容範囲の広い社会というのは、決して効率主義・合理主義だけでは成り立たない。またそれだけが、人間の生きる価値ではないはずです。そして、他人より早く・大きく・高く、というギネスブック・オリンピック的競争原理のなかで、自分を競わせることに絶対的な価値をおいてはいけない。ゆっくりでもいい、遅くてもいい。自分と意見や生き方や、文化や習慣が異なる人ともお互いを理解しながら、ここが大事な点ですが、ある距離を保ち、人間的つながりを深めていくことの中で、生きてゆきたいんです。私にとって、生きるということと体操ということはまったく同義語なんです 。」
社会の縮図としての教室に、ばらばらな人間が集う、そのままの雰囲気を大事にする。野口は区分しないことで生まれる非効率性こそが、人間同士の相互理解の源泉になると考えていた。また、心身の障害については、それは「程度の差」に過ぎず、全ての人間は身体障害者であって、そこに上下の違いはなく、生き物として同等であるととらえていた。効率性ばかりが価値ではなく、また効率性を優先させるために見えづらくなるものについて、意識的であったのだろう。
また、野口は、野口体操を全国組織化することを勧められることもあったというが、組織化を拒み続けた。体操や思想を体系化することも拒み続けた。それをしなかったのは、そうした行為がもたらすなにがしかの効果よりも、それによって失われるものの方が大きく感じられたからだろう。野口体操のみずみずしさのようなもの、変化のもつ可能性を大事にするには、組織化や体系化は似つかわしくないと判断したのかもしれない 。
「それぞれの人が、それぞれの場所で、それぞれのやり方でこの体操を始めたら、この『野口』という固有名詞はすぐに消えるはずです。いろいろなかたち、いろいろなあり方がそこに生まれてきて、それがそのままその人その人の体操になる。そして、それがその人の生活の中に完全に密着してしまって、さあ体操するぞ、というような意識がなくなってきた時には、さらに『体操』というコトバも消えてしまう。あとに何が残るかといえば、そこには新しく生まれ変わった一人の人間がいるというわけです 。」
ばらばらであることのよさ、風通しのよさ、多様性、野口が徹底的に個の自由を重んじたその姿勢は、戦争体験に由来する。野口にとって、体操とは個人の健康を目的とするわけではない。ひとりひとりが、外側の価値観に服従することなく、自らの内側から促されるものに耳を澄ますことが、人類の変革と平和につながるのであり、そのための土台として、個の自由を重んじる必要があったのである。
「原初生命体」としてのからだを探るために、野口はさまざまなヒントを授業の題材に用いた。地球と人間のつながりを探るために、たとえば鉱物を観察する。あるいは「時間の塔」と呼ばれる図を使う。鉱物や生命史(誌)など、いわゆる理系的な素材は、人間同士が、生き物として同等であるという前に、自然界の存在自体が、自分という人間と、生き物として同等であるということを実感するのに役立つ。と同時にそれは、地球の主役であるかのようにふるまっている人間への批判でもある。地球にとって人間は新参者に過ぎず、細菌学者の藤田紘一郎のことばを借りれば「地球はむしろバイ菌やアメーバのものだ」ということになる。野口にとっては、生命の起源と地球の起源の話というのは、今まさに自分の身体で起こっていることなのである。野口は次のように語っている。
「無数の巨大隕石の衝突によって原初の地球は生まれたのだといわれています。その後も耐えず隕石などの宇宙物質が注ぎ込まれて、地球は成長してきた。その地球物質でできている私たちのからだのすべてはかつて、隕石だったといってもよい。隕石の中の鉄は、地球の核となっていると同時に私たちの赤血球の中のヘモグロビンにもなっています。隕石は、まさに、私たちと血縁関係の先祖であり先輩であり、仲間だということになりませんか。そうならば僕は星の子なんです。できることならば地球に愛される星の子でありたい 。」
野口にとっては自分のからだを探ることが、素粒子研究と同様に宇宙の根源を探ることであった。自然保護、地球環境保護が声高に叫ばれる風潮の中で、野口はそうした思想の中に潜む人間の傲慢さ、自分という分身を省みずに外側に目を奪われる愚かしさを感じていた。野口の思想において、自然は保護する前に、偉大な教師であり、だからこそ、その分身である自分のからだに、ひたすら耳を澄ます必要があるのだった。
野口の思想は、体操という方法をベースとしながら紡ぎだされたものであるが、いわゆる体操のための体操ではなく、体操という方法を借りた、ひとりひとりの人間の静かな変革を試みるためのものの見方である。常識的な体操の概念には到底おさまりきらないような事例—言霊、鉱物、量子力学など—ありとあらゆる素材を用いることから、野口自身、そこに含まれるある種のあやしさ、いかがわしさに自覚的であった。しかし、そうした部分が野口の思想の肝であり、単に「ほぐし」や体操という形だけを取り入れることには、野口自身が反対していた。従って、野口の身体哲学を国際理解教育の場で生かすということは、体操をそのまま行うことを意味するわけではない。ここでは室井尚の議論を手がかりに、国際理解教育の大きなテーマでもある文化理解と身体観のかかわりについて述べてみたい。
前述したように、室井は文化を流体としてとらえる見方を提案している。室井は、文化は長い時間をかけて「風や海流に乗ってゆっくりと伝わり、溶け合って(中略)やはり長い時間をかけて身体の中にしみ込んで」きたものであり、また、そのように流れつつあるものであるという。更に、国民文化や伝統文化は近代に作られた虚構に過ぎず、文化は決して単数や複数で数えられるものではない、従って固定された○○文化という枠で文化を語ることはできないし、「異文化交流」や「インターカルチャー」という捉え方が隠蔽しているものについて捉えなおす必要がある、とした上で、文化を流体としてとらえる視点が、新たな文化理解のあり方に向けた戦略となるという。文化が流体であるならば、その理解を扱う国際理解教育という営みもまた、不断の流体として営まれるはずである。常に変容し、生成を繰り返す。規格化され、固定化された、おさまりのよい知識は、流体としての文化を理解することをむしろ阻むはずである。そのような知識がどれだけプログラム化され、消費されたとしても、それは「からだに根ざした」理解とは別の話であろう。しかしながら、本論でとりあげたいくつかの視点から国際理解教育を捉えなおしてみることで、理解のあり方は流動性を帯びるのではなかろうか。その流動性は、この社会の現状への従属ではなく、変革へとつながっているはずである。皮相な技術、知識だけの理解、そうした形だけの体操が人間にとって何の役に立つのか疑問だと野口は述べたが、国際理解教育も形ではなく、むしろ形にならないような、未分化のエネルギーのようなものに、学習者が出会える場であるべきである。そのためには、国際理解教育という分野が、学校教育に行儀よく収まってしまってはならない。国際理解教育は何か特別なことではなく、あらゆる人々が受け手であると同時に発信者となるような学びである。国際理解教育そのものが、不定形で、十分にほぐれていれば、学校教育や、教科教育にとどまらず、地域社会においても、あらゆる年齢の、あらゆる立場のひとに届いていく可能性が拓かれている。実際、国際理解教育という名前を使わなくても、無意識のうちにそれを行っている人は少なくない。たとえばアートや音楽といった世界は、決して効率や消費と無縁ではないにせよ、知識や立場を超える理解のあり方、多様なものの見方を探る試みが盛んな分野である。アート、芸能のもつ力は、それだけではないだろうが、国際理解教育においても、とらえなおしてみる必要がある。多様な分野、多様な人間を巻き込んでいくことで、教育という分野に縛られることなく、国際理解教育を解きほぐしながら編みなおす、といった作業が可能となるのではないだろうか。
野口の体操のベースにある、「力を抜く」ということは、力を入れていれば気づくことのなかったさまざまな疑問や不安が、顕在化するということでもある。それは要領よく、なるべく短時間で、効率よく正解や要点を把握することのみを教える教育と真っ向から対立するものであり、遠回りをし、時間をかけながら、わからなさ、できないことを味わう学びであり、効率を追求する社会の元では最も受け入れがたい類のものであろう。しかし学びのよろこびとは、本来そういうものではないだろうか。競争原理だけが全てではないことを、モットーやお題目としてではなく、からだを手がかりに育んでゆく意味は、そのことに気づくことでもある。教育が普及、蔓延しすぎたことで、私達のものの見方は、野口のことばを借りれば、汚染されてしまっている。ものごとを、正しい/正しくない、役に立つ/立たない、意味がある/ない、といった判断に委ねすぎたこと、そのような判断ができると思い込んだ人間の傲慢さが、そぎ落としてしまったもの、見えなくしていたものがある。だからこそそうしたものを、からだの声に耳をすませながら、取り戻すプロセスが必要なのである。おさまりのよい、見栄えのよい知識を通して、国際理解教育をこなしていくのではなく、すぐには「何の役にも立たない」と思われるものやことを、安易に排除し、切り捨てるのではなく、むしろそこに積極的な価値を見出していく、そこから価値を発見し創造していく、そうした試行錯誤を繰り返す営みのなかで、国際理解教育の内に宿る自律性を促していくことが今、求められている。