「体ほぐし」が拓く世界]村田芳子編著 光文書院 1999年
今年の春のことです。ある大学のコミュニケーション学部で、身体表現の講義と実技を指導する機会を持ちました。自分のからだと対話しながら、しなやかなからだと心を探る野口体操の紹介を頼まれたのです。因に、野口体操は、故・野口三千三東京芸大名誉教授が、半世紀以上の体育教師の経験から編みだした独自の理論と方法からなっています。
ところでその時の授業の様子ですが、さすがにコミュニケーション学部の学生さんだけに、体が柔らかいことの大切さを頭では分かっていました。ですから体の力を抜いて重さに任せ、液体的にゆらゆらと揺することを基本とする実技を、ためらわずに学ぼうとする姿勢は始めから感じられました。しかし、いざ動きになると、案の定、ほとんどの学生さんが戸惑いをみせたのです。彼らや彼女たちは、力を抜こうとすると、だらしなくなるか、ギクシャクするかのどちらかでした。ここで一言だけ示唆しておきたいことがあります。詳しい説明は紙面の関係上省きますが、余分な力が抜けて重さが生きたからだからは、すっきりしたまっすぐな姿勢が生まれます。
では読者の皆様は「柔らかでしなやかなからだ」をどのように捉えておられるでしょうか。それは柔軟性をみるテストで指先が床に着くとか着かないとかを問題にする体のことでしょうか。もし、そうした条件を最初に掲げてしまったら、先天的にも後天的にも障害をもつ人はどうなるのでしょう。戦後の日本を必死で生きぬいた高齢者はどうなるのでしょう。お腹のなかに新しい命を宿しているお母さんはどうなるのでしょう。
私は、健常者にとっても障害者にとっても、子供からお年寄りまで共通した体の柔らかさとはどういうことなのかを視野にいれたいのです。それには外側に現われた形を問題にし、数字に置き換えることは避けたいことです。勿論いつも硬いのは硬い体です。またシャキッとしなければならないときまでぐにゃぐにゃしていたら、それも硬い体です。しなやかさ・柔らかさとは、変化に応じてふさわしい中身の在り方や動き方が、その人の生きるリズムのなかから、そのつど生まれてくることであってほしいのです。そこに「体ほぐし」の本当の意味があると考えています。その人にとって『丁度よくほぐれて力が抜けたとき、丁度いい力の入れ方が分かる(野口語録)』という方向での理論と方法を持つことが肝心だと思っています。重ねて言えば、一生無理なく続けられる体操、つまり「生涯体育」にもなりうる理論と方法を、「体ほぐし」の基本としていきたいのです。
何事にもある基準はあっても、絶対にこうでなければならない、というにことにこだわったとき違うものになります。ましてや「体ほぐし」が目的なってしまっては本末転倒です。一人ひとりの子どもが体ほぐしの向こう側に、「何か」を見い出す喜びに出会えたら素敵ですね。その何かとは、ドキドキするような新鮮な驚きであったり、ちょっと涙ぐむような懐かしさであったり、中には危険を早めに察知して避ける感覚であったり……。
豊かな感性が、素直に息づく自分のからだに、目覚めてくれることを願っています。